生きているということ (2002/09/20)


生物という学問、究極はあるのですかね?
私は、無いと思います。それを見つけよう!と、関心を持つからこそ人間が人間であり続けるのではないか?生きるってそう言う事じゃないか。なんて思ったり。
総てに無関心、殊に自分自身を含め、人間に無関心になった時、それが一般的に「腐った」状態なのでしょうか。

進化論、総て生物は順を追って適者生存・突然変異を経て進化してきた。というのは一般的な見解ですが、ある面で私は「神」を創りたいと思います。ある意味で「Creature」という視点を肯んじます。
人間の関心の無限の源泉を、果たして生物自身が創れるのでしょうか??

…創れるかもしれませんね。だってまぁ、45億年も生命誕生から経っているんですからね。
1年に1つの不思議が生まれたら…45億個の不思議があるんです。
10年にひとつでも…4.5億個
1世紀にひとつなら…4500万個の不思議があるわけですね。

でも、ま、世界に何万といる科学者が集まって頑張れば、できなくは無いかもしれません。有限です。

やはり、「人間(自分)を怖いと思う」事が何より「超現実的世界観」を裏付けているように思います。

人を好きになる/人を嫌いになる

これだって考えてみれば恐い事ですよね。ある意味では自分の思い通りにならないわけで。「魔が差した」という表現もありますし。


「何もかも思い通りになったとしても 次々と不安を探してしまうだろう
 消して満たされない 誰かが傷ついても…」

「いつでも微笑を」の一節です。確かにそういう面を持ちますよね。何をもって「幸せ」か。
人を好きになった時、その人と付き合えたらどんなに幸せかと思い、別れた後は「そのままのほうが幸せだった」と思う。
結婚を親に反対されて、すっごく頑張って親を説得して掴んだ結婚生活。干渉が無くなったとたんに破綻。
ってのはよく聞きます。実際は何が幸せなんでしょうかね。

極楽往生の思想の前にとりあえずこっちを片付けてくれませんか?先人さん(笑)

支離滅裂なコラムでした。

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