ゆとり教育 (2002/11/15)
私はそのゆとり教育の真意はあまり解していませんが、最近「廃校寸前の地方の分校」をテレビでやっていたので、ちょっと語ろうかと。
自然豊かな分校が消えようとしていました。過疎化が問題となって。積極的に通学バスの運行などで生徒数を増やそうとしているようですが、1・2年生や3・4年、5・6年生が同じ授業をすることへ保護者が不満を募らせてなかなか上手く行ってないみたいです。
でも私は聞きたいと思います。何に不満があるのか」と。勉強量が大幅に削減されゆく現行の「ゆとり教育」の潮流の中で、分校のどこに劣勢が見受けられるのでしょうか。理数離れが叫ばれている現在、小学生くらいの年齢の子供にとって何が大切なのでしょうか。
森を知らない子供達が「森を守らなきゃ!」なんて切に思う事ができるでしょうか?綺麗な川やホタルを知らない子供に環境保護が語れるでしょうか…。そして、生命に関心のない子供達が医者として成長できるのでしょうか…。
微分のできない医者がいたって良いと思うし、今のように高い偏差値を持つ必要はないと思います。一番怖いのは、患者を単に「身体の故障」としかみなせない医者。生命について解っていない医者がいる事ではないでしょうか。現在の医学の根本には所謂デカルトの「身体機械論」つまり、身体を精神の従属物として捉え、身体を単なる物質とみなす事。それ故身体の故障は単に部品の交換(臓器移植)や、修理(手術)によって治る。また、身体を物質とみなす事で人間相互の臓器の移動を保障している。すなわち、此処に現代医学の源流があると考えられるのではないでしょうか。
勿論、この思想によって医学は今日の発展を遂げています。しかし、そこには「本当は治療は身体の修理だけじゃない」との思いがあったのではないでしょうか。建前は「身体機械論」を用いて、本音ではそれを良しとしていなかったのではないでしょうか。
かつては現代よりも周りに自然があった。関心を引くような生物がそこかしこにいた。そんな好奇心が本当の意味での「生きる力」の源となるのではないでしょうか。今では、図鑑や本や、テレビを介してしか見られない。自然−私の間には冷たい隔壁がそびえています。
まぁ、中学生くらいになると、それはそれで受験戦争に参加しなくてはならないので、そんなのんびりとしてはいられないでしょうが、やはり、「好きで勉強している人には勝てない」のです。小学生、または以前の時期に関心をはぐくむような環境に触れるのが一番だと思いますね。
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